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のりかの日記

あの頃ー青春の叫び

05月26日 11:15
こんにちは。昨日はありがとうございました♪同年代という事もあり、昔のテレビドラマなどの話題で盛り上がりましたね(笑)

1980年代、日本のテレビや映画に不良(ヤンキー)があふれていた。だがそこには単なる暴力や反抗だけでなく、時代の若者たちの不器用な優しさと葛藤が滲んでいた。
まず代表格が『ビー・バップ・ハイスクール』(1985年映画化)。トオルとヒロシ、2人の硬派な不良高校生が喧嘩に明け暮れつつも、友情や恋に揺れる姿をコミカルに描いた名作だ。口は悪いが情に厚い、喧嘩は強いが恋には臆病――そんな矛盾こそが、不良というキャラクターの魅力だった。
『湘南爆走族』も同様に、暴走族という過激な世界を描きつつも、主人公・江口洋助の人間臭さとピュアさが光った。仲間への想い、恋愛への不器用さ、そして進路への不安――そこには制服の下に隠された、等身大の若者の姿があった。
一方、女性を主人公に据えた異色作が『ヤヌスの鏡』(1985年)。内気な少女・裕美が、もう一人の人格「ユミ」として夜の街で暴れまわる姿は、まさに表と裏、抑圧と解放を体現していた。単なる学園ドラマではなく、心理サスペンスの要素も強く、「いい子」の仮面を強いられた昭和の女子たちにとっては、ある種のカタルシスだったのかもしれない。

これらの作品が描いていたのは、ただの暴力や反抗ではない。家庭や学校、社会に馴染めなかった若者たちの、「自分らしくありたい」という切実な願いだった。不良は、自由と孤独の象徴であり、現実に抗うための一種の仮面だったとも言える。

ヤンキードラマに絞って述べてみたが、スクールウォーズのようなスポ根ものや、金八先生のような正統派学園ものドラマも人々を夢中にさせた。

この頃の日本のテレビドラマには特有の「熱」があった。感情をむき出しにしたセリフ、目を見開いて泣き叫ぶ演出、そして現実では言えないような理想や正義を、登場人物たちは堂々と語った。
令和の今、あの頃のドラマを観ると、演技も演出も少し大げさに思えるかもしれない。でも、だからこそ伝わるものがある。現代よりも不器用だった時代、テレビの前で涙を流していた自分が、確かにそこにいた。ドラマとは、その時代の「心の記録」なのだ。

今週は私用で忙しく、土曜日のみの出勤になりますが、タイミング合えばリクエストも対応させていただきます。
昭和好きの方、語り合いませんか(笑)

のりか